いぶか れいな
井深麗奈さん
- 埼玉県秩父市出身
①秩父から東京、そしてフランス・パリへ
ーーーーパリへ行かれたきっかけや経緯を教えて下さい。
文化服装学院入学の時に東京に上京しました。学生の頃からランジェリーやレースが好きで売り場に行っては癒されていていました。卒業後は、ランジェリーブランド「 La vie à deux (ラ ヴィ ア ドゥ)」にデザイナー、パタンナーとして入社しました。ランジェリーやレースに実際触れてみてフランスが本場ということで、これはフランスに行かなくてはと思い渡仏しました。
②パリでの暮らしについて
ーーーフランス語は習得されていたのですか?
ランジェリー会社の恩師であるデザイナーの影響で25歳のうちに行きたいと思い、急いで独学で少し学び渡仏しフランスの学校で授業を受けました。
最初に学生としてパリに入ったのですが、今まで働いていた会社の上司の知人からお話をいただき、わりとすぐに仕事を始めました。フランス語は仕事を通じて身に着いていきました。
ーーーパリでの仕事や、仕事以外の時間の過ごし方などどんな生活をされていたのでしょうか?
ブランドを始めるまでは、アンティーク生地や雑貨の買い付けでヨーロッパ各地を回りました。1人で行くことが多く、若かったので本当に怖いもの知らずでしたね。でもそのおかげでたくさんの良いものを見ることができ、各国の文化や人に触れ人生勉強にもなり、とても楽しく貴重な体験をさせてもらいました。
東京では仕事と趣味で忙しくしていたので(笑)、フランスに来て時間がゆっくりと流れていて「生きている!」っていう感じがしました。東京よりも公園もたくさんあるし文化も豊かで、仕事をしながらも生活を楽しんでいました。
オフの時間では、好きなバレエを観にオペラ座によく通っていました。あとはパリ5区にある、※1le Jardin des Plantes de Paris(ジャルダン・デ・プラント)という植物園がとても好きで、何度か引っ越しをするたびに、毎回植物園の周りに住んでいました。フランスは文化と自然の両方がすごく近くて好きです。好きなことを中心に生活して、そのために頑張るという感じでした。アンティーク品はレースにしろ生地にしろ場所によって違いがあり、それぞれ個性があっておもしろい。仕事も全部好きなことだったので、楽しかったですね。
ーーーパリの街がとても好きだったのが伝わってきました。逆に困ったことや住みにくいと思ったことはありましたか?
パリは古い建物が多く、床がフローリングのアパートだとギシギシときしんでうるさかったり、、、味と言えば味なんですけど。一度、上の階に住む若者がパーティーで物凄くうるさくしたんで警察に通報したこともありました(笑)。でも、パリでの暮らしは住む場所として大満足でしたね!
※1 le Jardin des Plantes de Paris
パリ5区に位置する植物園。バラ園、動物園、温室などもある美しい公園
③自身のブランドを立ち上げた経緯
ーーーバイヤーからご自身のブランドを立ち上げた経緯を教えてください。
旅行で行っていた頃からフランスのアンティークがすごく好きで、仕事で触れることによって勉強にもなっていきました。
場所、年代によって生地やレースの特徴があり、テーブルクロス、カーテン生地、パーツなど全てが新鮮で、自分でも買い集めてこれでランジェリーが作りたいと思ったのがきっかけです。
最初は自分のブランドを持つことは夢で、まずは学ぼうと思っていましたが、知るにつれて創作したいという意欲が出てきました。でもブランドとなると自信が持てずなかなか踏み切れなかったのですが、夫にやってみればと言われ決心しました。
自身のブランドとしてスタートした2000年頃は、ちょっと作ってセレクトショップに置いてもらったりはしていたんですが、2003年に正式に「maria-reina paris(マリア-レイナ パリ)」としてアンティーク生地、レースをベースとしたランジェリーブランドを始めました 。2008年には、アウターラインとレースのマリアージュをベースに、アウターを中心としたブランド「 Reina I. paris(レイナ アイ. パリ)」 を立ち上げました。
ーーーご主人とのパリでの出会いを教えてください。
主人とは実は、父親同士が友達で同じ秩父出身だったんです。彼は古い映画観たさに学生として来ていてその頃出会いました。彼の方が後から渡仏してきたので、義父が何かあれば助けてもらうようにと私の連絡先を渡し、、、で、頼られました(笑)。その後彼は字幕翻訳の仕事をし、結婚しました。パリでは13年くらい一緒に住んでいました。
パリでの夫との会話で秩父の話をすることがありました。パリの冬は気温差はないけれど1日通して低気温で寒さが厳しいのですが、毎年12月3日の秩父夜祭の日になると、パリと秩父とどっちが寒いかという議論になり、「パリの方が寒い」と私、「いや秩父の方が寒いよ」と夫、で、結局結論は出ないままなんです。秩父人としての会話ですよね(笑)。
④パリから秩父へ戻られて
ーーーその華やかなパリで17年も暮らしていて、秩父に戻る決断というのは相当悩まれたのではないですか?
私の中ではすごい決断でした。戻るきっかけは、義父が夫に会社を継いで欲しいという話があり伸ばし伸ばしになっていたことです。私は残るかという話もしましたが、年齢的なものですかね、フランスにいたとしても、ちょっと田舎に住んでみたいなっていう気持ちも出てきて、庭がほしいなという気持ちもあり。それで2014年に秩父に戻ってきました。
戻った当初は結構カルチャーショックがありました。 秩父は寒暖差がすごくあるので、気候の面では覚悟はしていたのですが結構まいりました。自然はあるけど文化的なものが少ないとか、落ち着いて考えたら田舎なわけなので仕方ないですよね。時間が経つにつれて割り切って考えることができるようになりました。
その中で、パリと同じ感覚を覚えたのが秩父銘仙の織元の※2新啓織物さんを訪れた時です。反物の飾られた情緒ある和室で、パリの老舗レースメーカーのショールームで感じたのと同じ感動、ときめきを覚えました 。また、庭仕事をしている時に聞こえてくる鳥の声が、パリで大好きだったブラックバードの鳴き声に似ていて、自分がどこにいるのか一瞬わからなくなるようなうれしい不思議な感覚を覚えました。今では季節ごとの秩父の野鳥の声、生き物の声、自然の音が心地よいです。
※2 新啓織物
秩父の伝統工芸品である秩父銘仙の織元
⑤秩父で自身のブランドをスタート
ーーー秩父の伝統工芸物の秩父銘仙などの生地を使ったお洋服を拝見しました。今日、着られているお洋服の生地はどちらのものですか?
これは、※3Magnetic Pole(マグネティック・ポール)という、※4秩父太織(ちちぶふとり)を受け継がれ織られている工房さんの生地です。秩父太織とスウェーデン織りを織り交ぜて、女性の職人さんが一人でひと織りひと織り手で織られているものです。繭から糸を作ることから全て手作業で行われているとても貴重な生地なんです。
秩父でのブランド再開のきっかけになったのが、新啓織物さんとMagnetic Poleさんとの出会いでした。工房で生地を見せてもらい魅了され、お人柄と仕事への取り組み方に惹かれ、秩父での新たなブランド「REINA IBUKA」を立ち上げることにつながりました。
コンセプトは、“ Élégante et Cool ”
「身につけると心から美しく幸せな気持ちになれる」
江戸時代から絹織物で栄えていた秩父の伝統工芸織物も使用し、パリと秩父のエスプリの融合を目指す。
新しいブランドにはこのような思いを込めました。秩父だけでなく東京で展示会を行ったり全国の皆さんに見てほしいという気持ちがあります。でも生地からして高価なものなのでどうしても高級な商品になってしまうのですが、その良さをわかって身につけていただけるのが一番うれしいです。ですが今後は、少しでも皆さんが着やすくお求めやすいようなアイテムも作っていけたらと思っています。
※3 MagneticPole
秩父太織と北欧織を融合した生地を制作している工房
無撚糸(むねんし)=綿を撚(よ)らずに、オリジナルのワッフル文様で織り上げている。100%秩父産のシルク生地を生産している。
⑥これから秩父に移住を考えている方へ
ーーー都会から秩父のような環境で暮らしたいと考えている方に、何かアドバイスはありますか?
自然が好きな人だったらすごくいいと思います。秩父には、映画や音楽、食材においても、田舎なので手に入らないものがあるんですよね。でもそこは割り切って、今あるもの、手に入るものを自分で工夫することが出来れば、とても充実した生活を送れると思います。また、秩父には、自然の他に、古くからのお祭りの文化や札所、地形の歴史などもあり、そこに興味を持てたら、よりおもしろいと思います。
「REINA IBUKA」ホームページ
http://www.mariareina-paris.com/concept.html
「REINA IBUKA」Instagram
https://www.instagram.com/reina_ibuka
「REINA IBUKA VERTS(アトリエのハーブガーデン)」Instagram
https://www.instagram.com/reina_ibuka_verts