くめゆうへい・まり
久米悠平 茉莉さん
妻・茉莉さん 移住の経緯
---秩父との関わりと養蚕との出会い
【茉莉さん】
秩父に住む祖父母を訪ねて、小さな頃から秩父には度々来ていました。この移住のきっかけになったのは「秩父銘仙」をはじめとした秩父の絹文化です。10代の頃秩父に銘仙という絹織物があることを知り、興味を持ちました。実際に「ちちぶ銘仙館」(秩父市にある銘仙の展示施設)に 行ったりもしましたね。 大学時代は国際関係や国際協力を中心に学び、その延長で「エシカルファッション」という社会問題や環境問題の解決を目指すファッションのあり方を知りました。自分たちが着ているものは誰が、どこで、どうやって作っているのか...。そうした生産背景について関心を持つと同時に、自分に何ができるかを考える中で自分自身のルーツである秩父における絹織物の歴史・文化に興味を持つようになりました。 調べていくうちに、絹織物のみならず、蚕を飼育し繭を生産する「養蚕」が今も秩父に残っていることを知りました。絹織物の源流である養蚕を探究したい気持ちになり、大学院で研究しようと決めました。秩父の絹文化についてもっと詳しく知りたいと思っていたところ、銘仙に関するイベントがあり、そこで養蚕農家として登壇していたのが夫でした。その後、私自身は大学院で絹文化について研究しながら夫の養蚕を手伝っています。 現在従事者の高齢化や後継者不足などによって日本で生産される生糸の自給率は1%未満だと 言われています。こうした現状を知る中で、紀元前から続いてきた絹文化が途絶えてしまうことに対して強い危機感を感じました。しかし、その一方でこれまで見られなかった新しい取り組みも生まれています。最近では蚕や繭を食品や化粧品、医療分野に活用するなど、「シルク」が持つ可能性自体を広げる動きも見られます。 古くから絹織物の産地である秩父でも、生産者同士の新たなコラボレーションが生まれていま す。例えば、「秩父太織(ちちぶふとり)」という絹織物があるのですが、秩父太織は繭から糸を引き、機織りに至るまで職人の手によって一貫して生産されています。実際に夫が生産した繭を使って秩父太織を生産する職人もいらっしゃいます。これまで絹織物は分業が主流でしたが、養蚕農家と職人が直接連携し絹織物を生み出すという顔の見えるものづくりに、私自身とても可能性を感じています。
夫・悠平さん Uターン経緯
【悠平さん】
幼少期は虫を育てる養蚕という仕事に対してネガティブなイメージを持っていました。その後、何となく家業としてやっている養蚕を学んでみようかなと思い高校に進学したのですが、そこで養蚕が日本の歴史の中で果たしてきた役割を知り、自分が養蚕を続けていかなければ、と徐々に気持ちを強くしました。 高校卒業後は大学へ進学し、経営学を中心に勉強しました。大学生の時にはすでに家業の養蚕を継ぎたいと決めていたので、卒業後はすぐに秩父へ戻り、ひたすら養蚕を実践していましたね。今もそうですが、最初の頃は特に大変で、「これじゃ、一般的に養蚕をやりたいとは思わないよな...」と感じる日々でした。正直、辞めたいと思うこともありましたが、続けていくうちに段々と辞められない理由も出てくるんですよね。 もちろん、年々辞めていく養蚕農家もいらっしゃいますし、養蚕という生業自体が無くなってしまうのではないかという危機感はあります。ですが、自分が生産した繭を使ってくださる方たちとの出会いは、本当に心の支えになっています。現在、私が生産した繭は秩父太織を生産する「 Magnetic Pole」さんや「ちちぶふとり工房」さんに使っていただいています。こうしたつながりを通して、「養蚕」は養蚕農家である自分だけのものじゃないなと思うようになりました。秩父の養蚕や絹織物に興味を持っていただけることは有難いですし、養蚕を続ける上ではお蚕だけでなくそうした方たちとの関わりも大切だと実感しています。
秩父地域の養蚕について
【茉莉さん】
国産生糸の自給率が低い中で、秩父太織のように生産者が顔の見える距離でものづくりできるというのは、絹産地としての秩父の魅力だと思います。昨年、秩父を拠点に活動するアパレルブランド「REINA IBUKA」さんが展示会を開催したのですが、その一環で私達「影森養蚕所」の見学・体験ツアーもさせていただきました。「REINA IBUKA」のファッションアイテムの中で使用されている秩父太織は、影森養蚕所の繭から作られているという生産背景を知っていただくことができ、貴重な機会になりました。
【悠平さん】
養蚕農家の多くは自ら生産した繭がその後どうなるかを知りません。ましてや、自分が生産した繭から作られた製品を手にする機会はほとんどないです。私の繭を必要としてくださる方がいること、自分の作った繭が糸、そして織物になり、自分自身も身につけられるというのは、今までの養蚕農家では考えられないことですし、とても贅沢な環境にいると思っています。 また、影森養蚕所の繭を使ってくださる方の感想やご意見を直接いただけるので、それらを次の養蚕に活かせる良い循環ができていると思っています。こうした顔の見えるコミュニケーションがあるからこそ、もっと養蚕という仕事を大切にしていこうという気持ちにもなりますね。
---一人から二人での養蚕へ
【茉莉さん】
私は研究するにあたって文献や資料を中心に調査することが多いのですが、実際に夫の養蚕を手伝うことで、養蚕への理解が深くなっていく感覚があります。例えば、「桑くれ」という蚕に桑の葉を与える作業を通して蚕に触れる中で、「蚕は人間をどのように認識しているのか」という蚕の生態に関心を持つようになりました。実践することで、これまで文献だけでは見えなかった側面が見えてきて、新しい研究のアイデアが浮かびますね。
【悠平さん】
私はこれまで養蚕農家として養蚕をしてきたので、自分にとって「当たり前」だと思っていたことが、養蚕を研究する妻にとっては不思議に思うこともあるようです。今まで思ってもみなかった視点を投げかけられることで、自分自身もより養蚕に対して理解が深まる感覚がありますね。私は 「実践」、妻は「研究」を通して養蚕に関わっているので、お互い知見が広がっているように感じます。
二拠点での生活について
【茉莉さん】
現在は大学院への通学や調査のために全国各地へ訪問することがあるので、それに合わせてスケジュールを組みながら秩父と実家のあるさいたま市の二拠点生活をしています。今のところ秩父での暮らしに対して不便さは感じないですね。実家が街中にあるので自然に囲まれた暮らしに憧れもありましたし、自然が近くにあることでリラックスできるので、良い環境だと思います。 秩父の人たちの温かさや、秩父の各地で開催されるお祭りを通して地域の結びつきの強さも感じますね。日常生活の中で農家さんや職人さんなど衣食住を支える方々と直接交流できるというの も、秩父の魅力の一つだと思います。
今後の展望
【悠平さん】
私のテーマは「養蚕をこれからも続ける」ということです。紀元前から行われている養蚕が無くなってしまうことは避けたいですし、今後も多くの方に養蚕の魅力を感じてもらえるように、養蚕に対して真摯に向き合っていきたいですね。今は養蚕を続けること自体が難しい時代ですが、だからこそ「続けていける養蚕」を目指して頑張りたいと思います。
【茉莉さん】
2000年以上続いてきた絹文化を研究することで、今を生きる私たちのルーツも探るような感覚があります。今後は海外での調査も行ってより広い視野で絹文化を捉えていきたいです。日本の絹の魅力を国内だけでなく海外にも発信したいですし、絹文化を盛り上げるために一緒に活動して くださる仲間も増やしていきたいですね。